野生動物を保護するって難しい。人間のエゴの問題だから


クマの話題を引き続き。
さきほどの「紺色の人」の記事では、
日本熊森協会の活動を取りあげていて、
blog主さんはこの団体の取り組みの一部は素晴らしいと思いつつも、
飢えたクマのための「ドングリ運び」という運動を批判しています。
野生動物への餌づけは「野生」の状態を損なうのでどうしても批判が出ますね。


私は、野生動物の保護も、生態系の保全も、究極的には人間のエゴによるものだと思います。
人間の活動によって生態系が変化したり、ある種の野生動物が減ったりすると
ある種の保護に走ったり、生態系を元の状態に引き戻そうとしたりするわけですが、
それらはすべて人間の都合で行っていることです。
今回の生物多様性条約COP10なんかも、まさしく人間の都合で行われていることですよね。


「クマが殺されるのはかわいそうだから撃たないで」
「人に危害を加えるから、市街地に来たクマはみんな撃ち殺すべき」
「昭和にあったような里山の環境を保持しなきゃ」


こういったことも、私が特定の生き物をかわいがるのも、
人間のエゴだと思います。


そういったひとりひとりのエゴの上に主張があるんだという前提で、
科学的な調査や方法を用いたり、
倫理的な判断を下したりして、
自然環境や野生動物の保護について議論が進めばいいのに、と思います。


なんだかクマについての議論を見ていたら熱くなってしまいました。