日本が舞台の法廷ドラマを書くのは困難かも 「日本の有罪率、99.9%の何故?」


(今回の記事、一見ライトノベル執筆とは関係なさそうに見えますが、私の中ではつながっています)



たまたま本屋で、こんな本を見つけてしまいました。

SIGHT (サイト) 2011年 02月号 [雑誌]

SIGHT (サイト) 2011年 02月号 [雑誌]

なぜ日本の有罪率は99.9%という高い率を誇っているのかを検証した総力特集です。
ショッキングな内容がたくさんありましたが、裁判官の実態について書いていたことが一番ショックでした。


いろいろな人がインタビューに答えていますが、それらを総合すると、
日本の裁判官は事務処理能力だけ求められていて、検察の筋書きを追認することが当たり前、
ということになります。


これはかなりショックでした。
アメリカの法廷ドラマを観ると、検察官と判事のせめぎ合いがすごいんですね。
検察が挙げた証拠を判事が却下したり、検察が起訴しようとするのを手続き不十分で被疑者を釈放したりするシーンが頻繁にあります。
でも、もし日本の裁判官が事務処理に徹していたら、そんなシーンも起こらないはずです。


雑誌を立ち読みした後、独自に調べるともっとショッキングなこともわかりました。
日本の有罪率99.9%というのは、比喩的な数字ではなく、実際に有罪件数を起訴件数で割った数だということ。


参照:有罪率99.9%の謎
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/38d4a7aab7eb22e556d128473c233b71


「有罪率99.9%は異常だ」という主張に対して、「日本は逮捕しても不起訴になる件数が多いから、
逮捕件数に対する有罪率は多くない」という反論もあるようですが、
被疑者が無罪を主張した場合の無罪率を見ると、日本の低さは際立っています。

こういうとき、よく引き合いに出されるのが、有罪率99%という数字である。たしかに日本の裁判で無罪になる率(無罪件数/全裁判件数)は94件/837528件=0.01%(2004年)で、たとえばアメリカの27%に対して異常に低いように見える。だが、アメリカの数字は被告が罪状認否で無罪を申し立てて争った事件を分母にしており、同じ率をとると日本は3.4%になる


もっと調べると、さらにショッキングなことがわかりました。
日本は「最良証拠主義」を採用していて、検察がもっとも良い(都合の良い)と考えた証拠のみ
裁判で提出され、被告側はその他の証拠にアクセスすることすら困難だということです。


wikipedia:最良証拠主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E8%89%AF%E8%A8%BC%E6%8B%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9


事務処理に徹する裁判官、検察の選んだ証拠しか提出されない裁判、そして日本の自白偏重の取り調べ…。
これでは、冤罪事件が起こるのも当たりまえです。
これが実態だとしたら、検察と裁判官とがせめぎ合う法廷ドラマなんて、絵空事になってしまいます。
いつか法廷もののドラマを書いてみたい、とひそかに企んでいたのですが、これでは無理かもしれませんね。


Shall we ダンス?」の周防正行監督が、数年前に「それでもボクはやってない」という
痴漢の冤罪事件を題材にした映画を撮りました。
その当時はなぜ今までの路線から打って変わって社会派ドラマの題材を選んだのか不思議だったのですが、
いま、周防監督がその題材を選んだ理由がやっとわかりました。
その理由は次回の記事で…。

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